
「学校に行きたくなかったら行かなくていいよ」
「不登校でも人生大丈夫」
この言葉に救われる当事者、不登校の親御さんも多いと思います。
学校にいけない、いきたくない子供に対して、これ以上追い詰めない魔法の言葉です。
実際のところ、学校なんて行かなくても日本であれば生きていくことは間違いなくできるでしょう。
事実、不登校経験者であり中卒の僕が生きていますし、僕自身が何よりの存在証明になっています。
ですが、間違いなく修羅の道であり、辛い現実が待っています。
一体引きこもってるだけなのに何が辛いのか、そして不登校の当事者である僕からのアドバイスを送りたいです。
経験者でもない人からのアドバイスより、遥かに現実味のあるものになっていると思います。
「不登校の段階」では気持ちが楽
学校に行かなくなったばかりのころは、正直助かりました。
朝は起きなくていいし、嫌な人間にも会わなくていい。周りの目も気にしなくていいし、何より「学校という場所」がしんどかった人間にとって家が避難場所になります。
不登校になった時の体験談はこちらの記事を見てください。
やっと逃げることができた、そう思えました。
ただ、その一時楽なだけであり、家にいるだけで未来が勝手に良くなることを意味しているわけではありません。
最初は自分の部屋で届いた課題や、自分で教科書を見たりして勉強していました。
しかし、自分の部屋という誰の監視もない環境。
それに加えて、当時はパズドラやモンストというソシャゲが台頭し、動画サイトも若者に浸透し始めたころ。
誘惑に勝てず、僕は堕落の一途をたどり始めます。
昼夜逆転し、教科書を開く気力も沸かず、外には同級生に会いたくないから出られませんでした。
また、不登校になった「時期」でも変わります。
僕の場合は中学1年生の段階で不登校になり、同級生の勉強についていけず、そのまま転がるように引きこもって、一気に選択肢が狭まりました。
不登校の原因が人間関係でしたので、中学3年だったりすればそのまま受験に向かい、高校で嫌な人とはオサラバすることができていたでしょう。
現代には誘惑が多すぎる
ここまで読んだら分かると思いますが、「不登校が原因じゃなくて、お前が怠惰なだけじゃね?」と思うと思います。
はい。不登校の延長線上で起きた結果、ではありますが、僕が怠惰なせいで招いた結果です。自覚しています。
ただ、当時より今の方が誘惑がかなり多いです。
片手で持つことができる鉄の塊で何でもできますし、24時間潰すことは容易。
技術の進歩というのは恐ろしいですね。
当時、僕の親は「学校が嫌なら今日は休んでもいいよ」と言ってくれました。
実際に、無理やり学校に連れていかれても壊れていたと思うので、最善の選択だったと思います。
生きていけてるのは親のおかげです、「ありがとう」とも伝えました。
不登校の人に伝えたいことは「立ち止まるな」
当事者として、僕は「絶対に学校に行け」とは言えません。
人それぞれ事情があると思うからです。
学校に行って壊れるくらいなら、休んだ方がいいです。
ただ「人生を止めること」は絶対に辞めてください。
今の僕が当時の僕に伝えられるのであれば、「何もしないということだけはするな」と伝えたいです。
動画投稿サイトを利用して30分だけでも勉強してみる、昼夜逆転せずに昼でもいいから起きてカーテンだけ開けてみる、心を閉ざさないでSNS上で少しでもコミュニケーションを取ってみる。
そういう次の一歩が必要だと思いました。
綺麗ごとではなく、僕自身が感じていることです。
小さいことでもいいから毎日積み上げておけば、数年後、数十年後、僕みたいに後悔することはありません。
実際、高卒認定を取ろうとしたときには0からのスタートでしたが、毎日少しでも勉強していれば少しは楽なものだったでしょう。
つまり「学校に行けないこと」よりも、10代という貴重な時期に「何もしないこと」が1番恐ろしいのです。
不登校でも大丈夫、ただ何もしなくていいわけではない
不登校だからといって人生が終わるわけではありません。
でも、何もしなくても自然に大丈夫になるわけでもありません。
この違いはかなり大きいです。
「不登校でも大丈夫」という言葉は、追い詰められている人を救うためには必要だと思います。
でも、その言葉だけを信じて何年も止まってしまうと、あとから現実が一気に襲ってきます。
僕は中卒引きこもりニートになって、その現実をかなり感じています。
だから、この記事の結論はこれです。
不登校になっても終わりではない。
でも、何もしなくても大丈夫は嘘です。
休んでもいい。
逃げてもいい。
でも、完全に人生を捨てないほうがいい。
僕自身もまだ終わったままです。
だからこそ、今さらでも少しずつ動こうと思っています。
たぶん人生は、学校に戻れなかった人間にも続いてしまうから。

